東洋のハワイとも呼ばれる指宿温泉!その歴史に触れる


提供:指宿市
更新日:2021年4月12日

1960年代のハネムーンブームで東洋のハワイと呼ばれ、一躍有名になった鹿児島県の「指宿(いぶすき)温泉」。現在でも名物の砂むし風呂を求めて国内外から多くの観光客が訪れます。砂むし風呂は江戸時代の人々にも親しまれていたとか。今回は、指宿温泉の歴史をひも解いていきます。

指宿温泉とその由来

提供:たまて箱温泉

指宿温泉はJR指宿駅周辺の温泉地の総称

鹿児島県の指宿温泉は、指宿市東部にある二月田(にがつでん)温泉、摺ヶ浜(すりがはま)温泉、弥次ヶ湯(やじがゆ)温泉などの温泉地を合わせた総称です。特に摺ヶ浜温泉は全国的にも珍しい砂むし風呂で有名です。

さらに指宿温泉のお湯にはメタケイ酸という天然の保湿成分が豊富に含まれており、美肌の湯であることも話題になっています。

指宿の由来は「湯豊宿」にあるとされる

指宿の由来は、指宿市指定文化財として光明禅寺(こうみょうぜんじ)に保管されている「方柱板碑(ほうちゅういたび:中世に作られた板碑)」に記されています。

方柱板碑には「天文十二年湯豊(ゆぶ)郡」と刻まれています。つまり、天文2年(1543年)には湯豊宿(ゆぶしゅく)の地が存在していたということです。

湯豊宿の名前の由来としては、湯が豊かな宿という意味からとされています。

なお、湯豊宿という名は、天智天皇が湯の豊かな宿があると指さしたことに由来すると言われています。

湯豊宿(ゆぶしゅく)が「指宿(ゆびしゅく)」となり、訛りによって変化し、現在の指宿(いぶすき)となったと考えられています。

指宿温泉の始まりと歩み

提供:指宿市

温泉の始まりは不明

指宿温泉の始まりに関する明確な資料は残されていません。

そのため、いつ頃から指宿温泉で湯が湧出し始めたのかは分からず、現在もなお未知なる温泉地であると言えます。

指宿名物砂むし風呂は1546年に存在していた可能性あり

1549年、ザビエルが日本へ来日したことは有名です。

そのザビエルが来日する3年ほど前、薩摩半島最南部へ事前調査のために訪れたジョルジュ・アルバレスという人物が残した報告書には下記の一文が記されていると言います。

「砂に穴を掘って横たわっている」

砂むし風呂と明確な表記はされていませんが、砂むし風呂を連想させる内容です。

1703年、砂むし湯治として利用されていた

1703年(元禄16年)には、砂むし湯治として利用されていた記録があったとされています。

また、江戸時代後期に薩摩(さつま)藩が作成した、三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)で砂むし湯治のことが紹介されています。

このことから、江戸時代にはすでに砂むし風呂が湯治や療養目的で利用されていたことが分かります。

江戸時代以前は危険な場所と言われていた

江戸時代にはすでに確立されていたとされる砂むし風呂ですが、江戸時代以前は高温の湯が湧き出る危険な湿地帯とみなされていたようです。

その後、時を経て炊事や温泉として利用されるように

一時期は、危険な場所とされた指宿。

しかし、次第に豊富な湯や蒸気の一部を地元の人たちが麻の加熱処理、炊事や浴用に利用するようになっていったとされています。

指宿の名の由来ともなった、湯が豊かとは全くその通りで、指宿周辺は地面を数メートル掘るだけで源泉が湧く珍しい温泉地です。

明治以前は自然に湧く源泉だけが使用されていましたが、掘れば出ることからさまざまな用途に利用できることがわかり、大規模な開発へと進展します。

大正中期から昭和中期まで農業用水として源泉を利用

大正中期から昭和中期に渡り、農業用水として源泉を利用するために大規模な開発が行われました。しかし、あちこちで掘りすぎぎたため、一時は源泉枯渇などの害も発生したそうです。そして、枯渇を避けるべく、新たな源泉の発掘が始まりました。

1957年頃、地下深くから源泉の層が見つかる

1957年に行われた発掘調査により、地下200~300mに新たな源泉が湧く層が発見されました。

その後急速な整備が行われ、1960年代には東洋のハワイと言われるほどにぎわう観光地になりました。

現在では用途を限定することで、源泉が守られています。

砂むし風呂の医学的な効果が解明され注目を浴び始める

近年になって、鹿児島大学医学部田中教授らの調査により医学的に砂むし風呂の効能が解明されました。教授によると、血液の循環を進めることで老廃物の放出や酸素栄養の供給が十分になされ、心身共にリフレッシュできるとのことです。

医学的に解明されたこともあり、砂むし風呂を体験しようと訪れる方は年々増加しているようです。

指宿温泉の歴史が感じられるスポット3選

江戸時代頃から親しまれてきた歴史ある指宿温泉。歴史に触れることができるスポットを3つ厳選してご紹介します。

指宿温泉を見守ってきた「湯権現神社」

「湯権現(ゆごんげん)神社」の権現は、仏が日本の神に姿を変えて現れることを意味します。

温泉の効用が神仏の力によるものとして崇拝の対象になり、指宿の湯の神様を祀(まつ)る神社として地元の人たちに親しまれています。

具体的な建立時期は判明していませんが、かつては長井ノ湯付近に建立されていたものが、1893年に島津家の別荘建立と共に現在の位置に移設されました。

<施設詳細>

湯権現神社

・住所:鹿児島県指宿市西方二月田
・電話番号:0993-22-2111(指宿市観光課)

島津家ゆかりの「二月田温泉 殿様湯跡」

「二月田温泉(にがつでんおんせん) 殿様湯跡(とのさまゆあと)」は、薩摩ゆかりの島津家の家紋が残る浴槽のある温泉です。

島津家27代当主である島津斉興により1831年(天保2年)に築かれ、湯殿や庭園が当時のまま残されていて、市の文化財に指定されています。

4つの湯壺からお湯が流れて適温になるように工夫されており、また浴室はタイル貼りになっており、非常に豪勢な浴槽だったことがうかがえます。

島津家の殿様が愛した温泉は元々やや熱めですが、黄色い札を取るとさらに熱く調整できます。入浴料は大人350円です。

<施設詳細>

二月田温泉 殿様湯跡

・住所:鹿児島県指宿市西方1408-27
・電話番号:0993-22-2827
・営業時間:7:00~21:00

指宿温泉が一望できる「魚見岳」

提供:指宿市(魚見岳からの景色)

「魚見岳(うおみだけ)」は、標高215mの小さな山です。漁師が山頂から魚群を確認した後に漁に出たことから名づけられました。

10万年以上前にできた火山の名残が今でも感じられる場所で、南東側は断崖絶壁となっており、溶岩とそれを覆う火砕岩が露出しています。山の下の方では、赤紫色の石英安山岩(せきえいあんざんがん)をみることができます。

魚見岳を南側から望む姿がハワイのダイヤモンド・ヘッドに似ていることも指宿が東洋のハワイと呼ばれている由縁だそうです。

また、山頂からは指宿の街並みが一望できます。桜の名所としても有名(4月頃)で、夜には満天の星が広がる場所です。