加賀藩主との密接なつながりも!石川屈指の名湯・和倉温泉の歴史に迫る
日本海が広がる石川県の七尾市にある、石川屈指の名湯として知られる「和倉(わくら)温泉」。日本有数の高級温泉街としても知られており、長い歴史を持っていることでも有名です。今回はそんな和倉温泉が、いつ頃できた温泉地で、どんな歴史があるのかについて迫っていきます。
目次
開湯は約1,200年前!日本でも珍しい「海の温泉」
「和倉温泉」は石川県の七尾市に湧く温泉
和倉温泉は、石川県七尾市に湧く温泉です。
能登半島中央部の七尾湾に面するため、日本海を眺めながら温泉に浸かることができます。
和倉温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉であり、海の塩分が豊富に含まれているのが特徴です。
リウマチや痛風、神経痛、貧血、慢性婦人疾患、アトピーなど、さまざまな疾患に効用があることで知られています。
源泉が地殻変動により移動?円山の湯の谷で湧いたのが始まり
和倉温泉は、国内でも珍しい「海の温泉」としても有名です。
806年~810年頃に円山の湯の谷から湧き出てましたが、その後地殻変動によって海中に湧き口が移動したと伝えられます。
海中から湧き出ていたことを「湯の湧きいづる浦」と表し、”湧浦(わくうら)”として知れ渡っていたと言われています。
◇地殻変動後は白鷺が傷を癒していたという伝説も
地殻変動によって湧き口が移動した源泉は、一羽の白鷺によって発見されたという伝説があります。
地殻変動した後の源泉は、1046年~1053年頃、和倉に暮らす漁師を営む夫婦によってその湯脈が発見されたと言われています。
一羽の白鷺が傷ついた足を癒しているのを漁師夫婦が不思議に思い近づいてみたところ、温泉が湧き出ているのを発見したのだそうです。
海の温泉「和倉温泉」その名の由来
元々は、和倉温泉という名ではなく「湧浦(わくうら)温泉」として知られていました。その後、加賀藩からの命により1674年に「和倉温泉」に名を改めたと言われています。
火付け役はあの加賀藩主の息子?和倉温泉は「湯治の湯」として評判に
白鷺伝説によって改めて発見された和倉温泉は、どのようにして日本、そして世界に知られるようになったのでしょうか。
和倉温泉は世界も認める泉質として有名
和倉温泉の泉質には、豊富な塩分が含まれます。
この塩の恵みには、傷や皮膚病に作用する「殺菌効果」、汗の蒸発を抑えて湯冷めを防ぐ「保温効果」、そして毛穴を引き締めながら肌をなめらかにする「美肌効果」の三大効果があると言われています。
明治13年には、ドイツで開催された万国鉱泉博覧会にて、「世界三等鉱泉」の栄誉に輝いており、世界的にも泉質の高さが認められています。
和倉温泉の湯は「前田利長」の腫物治療に使われていた
和倉温泉は、豊臣秀吉とともに織田信長に仕えた前田家との関わりが強いことでも有名です。
前田利家の息子に当たる二代目藩主「前田利長」は、腫物ができ困っていた折に、涌浦の湯(和倉温泉)を取り寄せて治療したと言われています。
そのことがきっかけで和倉の湯の評判が高まり、「湯治の湯」として人気に火がついたようです。
和倉温泉が人気温泉地へと変貌を遂げるまでの時代の流れ
加賀二代藩主である前田利長が火付け役となって全国的に知れ渡った和倉温泉は、そこからどのようにして人気温泉地へと変貌を遂げたのでしょうか。時代の流れとともに見ていきましょう。
1641年、三代藩主「前田利常」によって湯島が造られた
1641年に三代藩主「前田利常」によって周囲を埋め立てや湯口の整備が行われ、湯島が造られました。また岸と橋を結ぶことで賑やかさを増し、和倉村として名を広めたと言われています。
1654年には人気の温泉地として「湯座屋」や「内湯宿」が建てられる
1654年になると「宿方稼(しゅくがたか)」が許可されたことで、「湯座屋(ゆざや)」や「内湯宿(うちゆやど)」などの宿や共同施設が増えていきました。
宿などの施設が増えたことをきっかけに旅行地としても知名度を上げ、温泉街へ発展していったのです。