書物に記された歴史も 源義経との関係も深い鳴子温泉の歴史を紐解く
宮城県にある「鳴子(なるこ)温泉」といえば、枕草子の日本三名泉で有名な温泉地です。374本もの源泉が湧き、豊富な泉質と効能を持つ名湯です。そんな鳴子温泉は、いつ頃から存在する温泉地で、どのような歴史があるのでしょうか。鳴子温泉との関わりのある歴史上の人物などをご紹介しながら、鳴子温泉の歴史を紐解いていきましょう。
目次
鳴子温泉の始まりは平安時代
鳴子温泉のはじまりは、平安時代にさかのぼります。鳴子温泉郷は鳴子温泉をはじめとして、「東鳴子(ひがしなるこ)温泉」・「川渡(かわたび)温泉」・「中山平(なかやまだいら)温泉」・「鬼首(おにこうべ)温泉」の5つの温泉地から構成されています。
11ある温泉の泉質のうち9つを有しており、昔から東北の湯治場として親しまれてきた温泉地です。
鳴子温泉はどこにある温泉地?
鳴子温泉は、宮城県大崎市にあります。
日本の伝統工芸でもあるこけしの「三大こけし発祥の地」としても有名で、街の至るところでこけしを見ることができ、「こけしの里」とも呼ばれています。
826年に鳥屋ヶ森山の噴火で湧いたのがはじまり
そんな鳴子温泉は、826年に起きた「鳥屋ヶ森山(とりやがもりやま)」の噴火によって温泉が湧出し始めたことがはじまりです。
鳴子で温泉が湧き出たことは、日本の平安時代に成立された歴史書である「続日本後紀(しょくにほんこうき)」にも記載されています。
温泉が湧き出てすぐに温泉の神を祀(まつ)ったことから現在は、温泉神社が建設されています。
鳴子温泉の由来は源義経と関係があった
提供:鳴子温泉郷観光協会
鳴子温泉の「鳴子」の由来はいくつかあり、一説には温泉が湧き出た際の轟音が鳴り止まなかったことから名付けられたと言われています。
もう一つは、鎌倉時代の英雄である源義経との関係があったという説です。
義経は、兄・頼朝に追われている最中、鳴子温泉のある大崎の地を訪れたとされています。
その際、妻との間にできた子どもの産湯(うぶゆ)として浸からせたところ、初めて声を上げたことから「啼き子(なきこ)」が転じて「鳴子」になったという言い伝えがあります。
鳴子温泉は源義経以外にも歴史的な人物との関係も
鳴子温泉は、源義経以外にも多くの歴史上の人物たちとの関係がある温泉地でもあります。その中でも特に有名な人物とその関係性についてご紹介しましょう。
清少納言によって随筆された「枕草子」にも登場
「枕草子」は、平安時代の女流作家として名を馳せた清少納言が書いた書物です。
一条天皇の王妃である藤原定子(ふじわらのていし/さだこ)に仕えていたことで体験したことや、周りで起きた出来ごとなどが書かれていたことで知られています。華やかな宮中での生活を垣間見ることができることから、人気を集めたようです。
そんな枕草子には、三重の「榊原(さかきばら)温泉」や兵庫の「有馬(ありま)温泉」と並んで「三大名泉」と記載されています。実際には、「玉造(たまつくり)温泉」と記載されていますが、現在の鳴子温泉を指しているとも言われています。
松尾芭蕉の「おくのほそ道」との深い関係も
鳴子温泉は、松尾芭蕉の代表作である「おくのほそ道」との関係も深いとされています。おくのほそ道は、松尾芭蕉が自分の足で日本を回りながら紀行と俳句を綴った作品です。
作中では、領国境と言われる地勢から「尿前(しとまえ)の関」を通って羽前(現在の宮城県大崎市)へと向い、大変な思いをしたことが記されています。
松尾芭蕉が通った道を辿るのも鳴子温泉の楽しみの一つです。