江戸時代に開湯。北海道最大級の温泉地、登別温泉の歴史に迫る


提供:一般社団法人 登別国際観光コンベンション協会
更新日:2021年8月2日

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ともきち

温泉が好きで、年に数回は友人や家族と国内旅行を計画し、色々な温泉地へ出かけています。温泉の中でも、濁り湯の露天風呂が特に好みです。旅先では、有名観光地や絶景スポットをひと通りまわり、地元の名物料理やお菓子の食べ歩きも欠かしません。旅好きならではの視点で、温泉地の情報や温泉にまつわる知識など、魅力あふれる記事をお届けします。

江戸時代から温泉の存在が知られていた、北海道登別市にある「登別(のぼりべつ)温泉」は、「にっぽんの温泉100選・総合ランキング」において、毎年上位にランクインしている日本有数の温泉地です。今回は、そんな登別温泉の歴史に迫ります。

地名の語源はアイヌ語の「ヌプル・ペツ」。登別温泉とはどんなところ?

北海道最大の温泉地

出典:PIXTA

登別温泉は、西の洞爺(とうや)湖、南の倶多楽(くったら)湖、北東の支笏(しこつ)湖を取り囲む活火山によって形成された巨大カルデラ地帯にある、毎年300万人以上の観光客が訪れる北海道最大の温泉地です。

自然湧出量1日1万t、9種類の豊かな泉質という強力な魅力ポイントは、世界的にも珍しく、「温泉のデパート」と呼ばれています。

地名の語源はアイヌ語

登別温泉の地名の語源は、アイヌ語の「ヌプル・ペツ」(白く濁った川・色の濃い川)であると、江戸中期に北海道を探検した最上徳内(とくない)が著書の「蝦夷草紙(えぞそうし)」に記しています。

登別温泉のあゆみ

繰り返された水蒸気噴火

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約15,000年前に俱多楽の西麓で始まった火山活動により、日和(ひより)山に溶岩ドームが形成されました。その後、約8,000年前からは水蒸気噴火を繰り返し、その結果、沼底で約130℃の硫黄泉が激しく噴出している「大湯(おおゆ)沼」や、数多くの湧出口や噴気孔のある「地獄谷」などの爆裂火口跡が誕生しました。

温泉地の始まりは江戸末期

登別が温泉地として使われだしたのは江戸末期からで、地獄谷で硫黄の採掘を行っていた岡田半兵衛が共同浴場を作ったことが始まりです。

その後、大工職人だった滝本金蔵氏が温泉旅館業をはじめ、私費で道路工事を行い、湯治客が利用するようになりました。

明治時代中盤からは、登別温泉は社交場として普及し、温泉道を改良した金蔵氏には、馬車運行の功績として「藍綬勲章(らんじゅほうしょう)」が授けられました。

全国に地名が広まったのは明治末期

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明治末期、日露戦争の傷病兵保養地として、登別温泉が指定されたことで、知名度が一気に全国的に上がりました。多くの観光客が訪れるようになり、旅館や土産物屋が並ぶ現在の登別温泉郷の原型ができあがったのがこの頃です。

その後、交通の整備が進むとともに、訪問者数が増え、北海道最大級の温泉地として発展していきました。